●【追悼特集 ポール・ワツラウィック博士】
世界で始めてMRIにブリーフセラピーの研究所を立ち上げたメンバーの一人、ポール・ワツラウィック博士が3月31日にご逝去されました。ブリーフセラピーへのご功績を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。
..詳しくはMRIのサイト(こちら)をご覧下さい。
【ポール博士への追悼メッセージ】
【立正大学心理学部 楡木満生(にれぎみつき)先生からのメッセージ】
ポール・ワツラビィック先生のご逝去の報に接して
家族療法の発展史に重要な意味を持つコミュニケーション派のMRI(Mental Research Institute)研究所の第3代目の所長ポール・ワツラビィック先生が2007年3月にご逝去されたと聴き、本当に残念でたまりません。私は1999年にMRIで家族療法を研修する企画を作り上げて以来、ほぼ毎年家族療法の研修にMRI研究所の行き、ワツラビィック先生の優しく分かり易い講義を聴いてきました。最後にお会いしたのは、2005年のことで、そのときパーキンソン病ということで、多少震えがあるようでしたがお元気で私たち一行を歓迎してくださいました。家族でも会社組織でもそうですが、3代目がしっかりとしている組織は安泰であるとよく言いますが、ワツラビィック先生は第1代目所長ドン・ジャクソン、第2代目所長ジョン・ウィークランドの後を受け、MRI研究所の3代目所長として、現在のMRI研究所を率いてきました。ワツラビィック先生が所長になった頃、家族療法の変革期にあり、先生はコミュニケーション派のMRIイメージを、さらに個人療法をも視野に入れた統合的な心理療法(例えばナラティヴ療法・短期療法)を用いて社会問題の対策と直結した研究所へ発展させてきました。
先生のご略歴を簡単に述べておきますと、1921年オーストリア生まれで、哲学と言語学で1949年にベニスで博士号の学位を取られた後、スイスのユング研究所で学び1954年には精神分析家の称号も得ています。1960年にドン・ジャクソンがパロ・アルト市にMRI研究所を創設したときから家族療法コミュニケーション派の活動に参加し、1967年よりスタンフォード大学で精神医学も教えていましたが、2007年3月31日にパロ・アルト市で帰らぬ人となりました。まさに20世紀の波乱の歴史を生き抜いた人生でした。
彼の業績は、家族療法の端緒をつくったグレゴリー・ベイトソンの考えを最も忠実に受け継ぎ、コミュニケーション派の中枢の理論を作ってきました。「どんな人でもコミュニケーション無しにはありえない」「コミュニケーションは内容と関係の伝達をしている」「人間関係の性質は、パンクチュエーションの切り方によって異なってくる」などなど、MRIの中心概念は先生のご研究の成果から出た考えです。
先生はナラティヴ療法時代が始まる以前(1984年)、すでに、認知構成主義から社会構成主義への変化を示唆する「Invented
Reality: How Do We Know What We Believe We Know?」を執筆しております。その後1990年にはマイケル・ホワイトとデビット・エプストンがオーストラリアでナラティヴ・セラピーを創始しますが、すぐにMRIでもナラティヴ療法は注目されるようになり、2年後の1992年にはMRIに留学中であった小森康永先生(岐阜大学)により「物語としての家族」(金剛出版)で日本にいち早く紹介されました。現在注目されているナラティヴ療法が、MRI経由で日本に導入されたことを考えると、MRIを率いてきたワツラビィック先生の時代を見る目の確かさを裏付けることにもなり、時代の先見性が実証された形になっております。先生安らかにお休みください。
<ご著書>
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●10万ヒット記念リニューアル、ソリューションバンク.net】
家族心理.com10万ヒットを記念してソリューションバンク.netをリニューアルしました。
【管理者からのメッセージ】
【SolutionBank.net】 管理者の生田倫子です。
「ソリューション・バンク」とは、東北大学の長谷川啓三教授が始められた「子どもたちの問題解決のための、専門家による問題解決事例のデーターベース」から始まりました。私も、河北新報の教育欄にて掲載中の「ソリューションバンク」にたびたび執筆させていただいておりました。
そして、これまでスクールカウンセリング、施設臨床、病院臨床、被害者支援等の臨床活動を行い、さまざまな場所で講演等をさせていただく中で、次のような問題意識を持つようになりました。
それは一人で悩み苦しんでいるものの、いまだカウンセリングにやってくることが出来ない方々の苦しみをなんとかしなければ、ということです。
そして、そんな方々の気持ちに寄り添うのは、専門家から与えられる解決ばかりではないのではないかと思うようになりました。そのような問題意識から、一般の方々による身近な問題解決のデーターベースを企画いたしました。
一般の方々の体験は、自力で解決したもの、偶然のきっかけで問題が消滅したもの、親や親戚のよくわからない行動でなぜか解決したもの、やっぱりなというベタな解決でうまくいったもの、などなどいったい何が飛び出すかわかりません。
そんな多様性によって、今現在悩みを抱えている方が「こんな方法もあるのか!」「こんな偶然の解決が訪れることもあるのか」「こんなに単純に解決していいのか」「やはりありがちな解決も効くんだな」など多様に感じていただければと思っています。
そして、「ちょっと試してみよう」「もう少し待ってみよう。」「生きてみよう」と思っていただければ、企画者としてこんなにうれしいことはありません。
これをお読みの皆さんも、自分の過去の体験から解決の知恵がありましたら「投稿・問い合わせ」までどんどんお寄せください。お待ちしています。
また、志を同じくする皆様とも「暖かいつながり」を大事にしていきたいと思っています。ぜひご連絡をお待ちしております。
【東北大学、長谷川啓三先生からのメッセージ】
SOLUTION BANK の妹版が、このホームページで立ち上がります。小野直広と長谷川啓三らが中心となって仙台で1997年に始め、その後、児玉真澄さんらが中部地区から最初の連携をしてくれました<ITC家族心理研究センターはこちら>。
この発端は90年代に名古屋で起きた「いじめ遺書自死」を巡る社会システム規模での悪循環をなんとか解決できないかということでした。
スティーブ・ドシェーザーとインスー・キム・バーグは、私たちの、この活動を早くから知ってくれていて、「SFAアプローチの新展開だ」と、なんども絶賛してくれました。そしてインスーとイボンヌの著書にも紹介してくれています(「解決の物語」金剛出版)。
以来、今日まで新聞ー河北新報の、東北地区最大に日刊紙、毎週火曜日朝刊に現在も続いています。また伝統のある月刊雑誌「児童心理」金子書房でも、本年1月から12月までの予定でツークール目の同タイトルで連載中です。
長谷川
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●【追悼特集 インスー・キム・バーグ女史】NEW!
解決志向アプローチのインスー・キム・バーグ女史が1月10日にご逝去されました。
技法の秀逸さもさることながら、お人柄のすばらしさ、小柄ながら大きな存在感、スタッフへの気配り、
太陽のような笑顔等、臨床家として、そして人間として本当に優れた方でした。
ブリーフセラピーへのご功績を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。 ..
詳しくはBFTCのサイト(こちら)をご覧下さい。
【インスー女史への追悼メッセージ】
磯貝希久子先生 ソリューション ワークス
「インスー・キム・バーグ先生との思い出」
2007年1月10日に,インスー先生が愛する夫であり,Brief Family Therapy Center (BFTC)の共同創立者で,Solution
Focused Therapy(SFT)を共に発展させてきたスティーブ・ディ・シェイザー先生の元へと旅立たれました。あまりに突然の知らせでした。インスー先生の数多くの功績は,BFTCのHPに詳細に載っていますので,ここでは個人的な思い出を綴らせていただきます。まだ気持ちの整理がついていないので,とりとめもない文章になると思いますがお許し下さい。
インスーとスティーブとは,10数年前にソウルの地下街で偶然に会うという“奇跡の出会い”から始まりました(その翌日にアポイントは取っていたのですが)。私はその前からSFTを自分の臨床において実践していましたので,彼女たちとお会いできるのを心から楽しみにしていました。ソウルの地下街は人も多く,戦時に防空壕としても使えるように,非常に広く大きく,網の目のように入りくんでいます。そこで偶然にバッタリとお会いするとは,まさに奇跡でした。お二人に声をかけると,インスーは「私たちと一緒に散策しましょう」と誘って下さいました。それから私たちは3人で,市内の名所や骨董市場,教会などを歩き回り,夜にはインスーのお兄様のご自宅で夕食を共にしました。初対面で,英語も話せない私をすぐにまるで家族のように受け入れて下さる,インスーはまさにそういう方でした。
ミルウォーキーのご自宅で過ごした1ヶ月間は,3人でお散歩したり,動物園に連れて行って頂いたりと,とても幸せな思い出となっています。インスーとスティーブのように,お互いをあれだけ尊重し,敬意を抱き,思いやったご夫婦はいないだろうと思います。それは,SFTを発展させ伝えるという強力な共通の意志があったことが土台になっているからでしょう。お二人は本当に何から何まで違っていました。ジャズとビールと野球が大好きで夜型のスティーブと,クラッシックとワインとバスケットが大好きで朝型のインスー,夕食の時には毎晩のように,「ビールが最高だよ!」と言うスティーブに,インスーが「いいえ,ワインが一番よ」と言って二人で張り合って,まるで子犬同士がじゃれ合っているようなほほえましい会話が続いていました。
インスーは毎朝5時頃には起きてメールチェックをし,7時過ぎにはBFTCのオフィスに向かって,夕方5時過ぎに帰宅するのに対し,スティーブは10時前くらいに来て3時過ぎには帰宅していました。スティーブの大きな功績やその天才的な知性を知らない人は,オフィスでの仕事ぶりだけを見たら,インスーだけが働いているように思ったことでしょう。料理が大好きでプロはだしのスティーブが毎日夕食を作り,お洗濯も彼の担当でした。スティーブは他の人にまったく干渉しない人だとインスーのお嬢さんが言っていましたが,でもインスーの健康に関してだけは別でした。家事をスティーブが担当していたのも,インスーの身体を気遣ってのことでしょうし,彼女が無理をしている時には本気で怒っていました。でも,自他共に認めるワーカーホリックで,何よりも仕事優先のインスーを止めることは家族にも誰にもできませんでした。
インスーはあの小さな身体で世界中を飛び回る体力を維持するために,ヨガやウォーキングなどを欠かさず,ミルウォーキーにいる時には時間を見つけてはジムに行っていました。本当にビックリするくらい彼女は身体も柔らかく,若々しい力を維持していました。私もそのジムには何回か連れて行って頂き,そこのスチームサウナがとても気持ちが良いので,そちらにいる時にはよく二人で入りました。彼女が倒れたのがそこだったと聞き,複雑な心境と共に少し救われるような気もします。というのも,インスーが以前「死ぬ前に何をしたいか」という話題の時に,「熱いシャワーを浴びたい」と言ったという話しを耳にしていましたし,そこはサウナがダメな私がお気に入りにしたほど,心地よい場所だったからです。
私のインスーの臨床を直に学びたいという願いに応えて,10年間の間,彼女は毎年福岡でワークショップをして下さいました。10年間継続して遠い日本に来て下さるということがどれだけ大変なことだったか,私の感謝の気持ちは言葉で言い尽くせません。インスーが毎年来て下さったことが,日本でのSFTの発展に大きく寄与したことは言うまでもないでしょう。その間にトラウマ治療で高名なイボンヌ・ドラン先生,社会学者でBFTCメンバーのゲール・ミラー先生,スイスの児童精神科医のテレース・スタイナー先生を連れてきて下さり,スティーブとお二人でのWSも2回行うことができました。(ちなみに当機関のSolution Worksという名称は,インスーとテレースに命名して頂きました。Worksが名詞と動詞として使えるので,「解決のお仕事」と「解決がうまくいく」という両方の意味を持つからということでした) 2000年以降は,「初心者はあなた達がWSをしなさい,私はトレーナーズ・トレーニングに移行したいから」というインスー先生のご意向もあり,習熟者対象のアドバンスWSとし,‘02からはWSのほとんどの時間がスーパーヴァイズという非常に内容の濃いものとなりました。継続して学び続けることができたこと,インスーのSVセッションを目の当たりにすることができたことは何物にも代え難い財産です。そして,2005年9月にはインスーとスティーブのお二人を迎えて,一応一区切りということで,福岡での最後のWSを行う予定でした。しかし,その10日ほど前の11日にスティーブがウィーンで逝去なさり,急遽中止となりました。
インスーはすぐにその代わりのWSを行うからと言って下さったのですが,スティーブの追悼セレモニーが世界各地で行われ,これまで以上の超人的なスケジュールをこなしているインスーの身体が私は心配で,1年間は空けて07か08年に締めくくりのWSをして頂くという約束になっていました。でも,もうそれも叶わなくなってしまいました。
私にはスティーブが「もう充分だよ,もういいよ」とインスーを呼んだように思えてなりません。私だけでなく,SFTを学ぶ人たちみんなにとってインスーは母親でした。子どもとしては,たとえインスーが仕事をいっさいせずに隠居していたとしても,生きていてくれるということだけで心の支えになります。しかし,彼女はそういった生き方を望んでいませんでした。スティーブ先生がお亡くなりになって、私が想像以上の大きな喪失感にうちひしがれていた時、インスーから頂いたメールに「スティーブは医師から無理をしないようにと言われていたが,彼は長く生きることよりも,クライエントの役に立つことや,SFTを教え,働き続けることを望んでいた。私はそんな彼のことを尊敬しているし,あなたには彼の死ではなく,功績を覚えていて欲しい」というようなことが書かれていました。その言葉は,今となっては彼女自身にもあてはまる遺言のように思えます。
インスー先生はいつも,「SFTを多くの人に伝えることが自分のミッションだ」とおっしゃっていましたが、最後まで精力的に世界中を回ってソリューションを伝え、そのミッションをまっとうしたことに満足していることと思います。そしてきっと,天国でスティーブと一緒に笑いながら、「私はとっても幸せな人生だったわ」とおっしゃっていることでしょう。そういう彼女の生き方に,心からの敬意と感謝を捧げたいと思います。
そして私も,そのご恩に少しでも報いることができるように,これからもクライエントの役に立てるように,そして「インスーとスティーブのSFTを皆様に伝える」というミッションを果たしていきたいと思います。
インスー,心からありがとう。
長谷川啓三先生 東北大学大学院教育学研究科教授
「母なるインスーとフィットネス・ダンス」
いつもはインスーがメールでBFTCやMRIの仲間の状況を教えてくれる。しかし今回は、それがなく、その訃報を疑っていた、いや信じたくなくて、今日まで来てしまった。やはり、1月10日にフィットネスのジムで亡くなってしまった。
フィットネス。ダンスのこと。これには思い出がある。インスーは、筆者らが、解決志向的な介入として非言語的なそれを、いくつか工夫をして成果をあげていることをよく理解してくれていた。彼女らの著書(解決の物語・金剛出版)にも、そのうちのふたつを紹介してくれている。インスーのダンスの思い出はそのことに関係している。
ベイトソンの藝術論に絡んで、音楽や抽象絵画と比較して、ダンスというのが非言語芸術の中でも研究が遅れている。それで自分はダンスに興味を持って接しているが、インスーは何かダンスをやらないのかと、ドシェーザーもいる中で問うた。すると「ダンスを長くやっている。私はジムでそれを欠かさずやっている、とても楽しみだ」と教えてくれたことがある。筆者には、ついこの間のことのようだが、多分15年は以前のことである。
かつてミルウォーキーのご自宅で一ヶ月を過ごさせていただいた。夕食は、多くスティーブが腕をふるってくれたが、少年裁判所の見学も、ご親戚と研究者の紹介も、シカゴの建築群案内も、地下室でのビール作りも、大リーグ最弱のブルワリーズの仲間を集めての観戦もが、みんなインスーが、まだ若い日本から一研究者のために、そのマネージメントを喜んでやってくれた。それは今考えてみると、その後に世界的に名を成す夫君、スティーブのための応援でもあったろう。
母だった思う。我々にも、そして誰よりも、夫であるスティーブにとって。天才肌の夫をよく支えていたと思う。日課であった毎朝の散歩もご自分よりは大柄のご主人のためであったろう。
面接を見たことがある者なら、スティーブよりもインスーのそれがいい、上手と感じる者が多いはずである。彼らが工夫した例外に焦点をあてるそれに忠実なのはインスーであると。しかしインスー自身は常にスティーブを治療家として研究者として最大の敬意を払っていたし大ファンであった。
お生まれはいつ―歴史に残る、われわれの領域での人物の中で、インスー・キム・バーグこそは、そこに並びうる東洋の臨床家であると思い、辞書の人名欄に載せるべく、ご自身の年齢をきいたのが最後のやりとりだった。この時、インスーは、「西洋では、女性には、年齢はきくものではないのは知っているでしょう」と冗談を込めての長文の返事があって、さてどうきき出そうかと、楽しみにしていた矢先であった。
日本から、心を込めてご冥福をお祈りさせていただきたい。
<御著書>
| 解決のための面接技法―ソリューション・フォーカスト・アプローチの手引き |
子ども虐待の解決―専門家のための援助と面接の技法 |
子どもたちとのソリューション・ワーク |
家族支援ハンドブック―ソリューション・フォーカスト・アプローチ |
解決へのステップ―アルコール・薬物乱用へのソリューション・フォーカスト・セラピー |
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| 解決の物語―希望がふくらむ臨床事例集 |
飲酒問題とその解決―ソリューション・フォーカスト・アプローチ |
ソリューション・フォーカスト・アプローチ―アルコール問題のためのミラクル・メソッド |
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●【日本ブリーフサイコセラピー学会 2006・学会速報】
【レポーター 池亀真司 東海大学大学院文学研究科コミュニケーション学専攻】
日本ブリーフサイコセラピー学会第16回横浜大会が、横浜市立大学にて開催されました。
日本ブリーフサイコセラピー学会 第16回 横浜大会
2006年8月25日−27日 横浜市立大学(神奈川)
大会テーマ【あなた】×【わたし】×【学ぶ】×【教える】=?
「セラピストの発展〜A Evolution of Psychotherapist」
講演者:ジェフリー・K・ザイク博士(ミルトン・エリクソン財団理事長)
ザイク先生の生い立ちから、母親、父親をはじめとする家族の影響、そして彼の人生に測り知れない影響を与えているであろう天才M.エリクソンとの出会い。ザイク先生が発する言葉一つ一つの中にM.エリクソンに対する尊敬の念が込められており、その情熱に圧倒された。エリクソン自身の慢性疾患の影響から生まれたといっても過言ではない、実にポジティヴでエレガントな催眠療法の技法は、特に家族療法/ブリーフセラピーに脈々と受け継がれより洗練されてきているように思う。
やはり、ザイク先生が強調されていたことは「ユーティライゼーション(利用)」であった。エリクソン・アプローチ、そして家族療法/ブリーフセラピーの柔軟な精神はまさに「利用」であろう。エリクソンは、「利用」について以下のように語っている。
「どんなものが与えられようとも、それは壁ではなく、自分が利用できるものなのだ。」
「壁なんか存在しない、それは利用するものがあるだけだ。」
とても素晴らしい言葉である。今後、家族療法/ブリーフセラピーを研究/実践していこうと考えている私自身に大きな希望を与えてくれたと実感している。
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●【速報・認知行動療法&家族療法ワークショップ】
【レポーター 池亀真司 東海大学大学院文学研究科コミュニケーション学専攻】
認知行動療法&家族療法ワークショップが、大橋会館にて開催されました。
2006年8月5日−6日 大橋会館(東京目黒区)
テーマ 『 認知行動療法&家族療法ワークショップ−臨床心理士としてのスキルアップを目指して− 』
講師
下山晴彦(東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース教授・教育学博士)
中釜洋子(東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース助教授)
「統合的介入に向けて」
講演者:中釜洋子助教授(東京大学)
<次のように問いかけてくるクライエントさんがいました。あなたならどうしますか?>
「心理療法って本当に役に立つんですか?」
「ここで行われていることは、新興宗教や気休めのための相談と、どこがどう異なるんですか?」
<統合的介入>
定義:心理療法の統合(integration for psychotherapy)とは
学派の壁を越えて二つ以上の理論アプローチを組み合わせたり、一つの理論の枠組みの中に他の理論から技法や臨床概念の一部を取り入れたり、あるいは個人療法と家族療法など異なる形態の心理療法を組み合わせる試みのこと。
ねらいは、統合的に考える以前の個人モデルより、より広範な臨床母集団(学校臨床など)や問題に効果があって効率の良いセラピーシステムを開発することにある。
始まりは1980年代〜欧米圏で始まり、盛んになった。
⇒心理療法は本当に役に立つのか? 何がどのような問題に役に立つのか?
<統合が盛んになった理由>
@臨床心理学が誕生して100年、それなりに成熟した(ある時には、400を超えるアプローチが存在)。主だったスクールが成立し、第二世代、第三世代の時代に入ったことの影響→相互検討の可能性
Aポストモダニズムという時代背景
ポストモダニズム:知る人を離れたところに知る行為は存在しない。私たちはこの世の中を、私たちが生きて行く中で身に付けた眼鏡を通してみることしか出来ない。
⇒万人にあてはまる唯一絶対の理論は存在しない。
最も優れた理論は何か?→どんな問題(人)にどんな理論が役に立つ?
B効果研究や実証研究の結果
⇒1)心理療法には効果がある。2)どれか一つの効果が突出しているわけではない。
C経済的・現実的要請
特殊社会階級の特殊なニーズに応える心理士→コミュニティの要請を受けてコミュニティで働く臨床心理士が誕生。
経済論理/効率性/社会にとって役に立つ、誰もが行える心理援助の実現を。治療群と対照群を設定した、追試可能なアプローチ「マニュアル化」「ブリーフ化」
D統合を推進する団体の誕生
「心理療法の統合を探求する学会(SEPI:the Society for the Exploration of
Psychotherapy Integration)」が誕生した。
<実証研究が明らかにしたもの>
@アイゼンク(Eysenck,H.J
1952)の問題提起
「精神分析は役に立たない。むしろ悪化させている」
↓
A1970,80年代、メタアナリシス研究が開発された。
↓
Bランバート(Lambert,M.J
1982)の研究
1)効果はある。
2)どれか一つの学派・技法が秀でているという差は認められない(共通因子)。
3)「クライエントの要因」が40%「期待と希望の要因(プラッシーボ効果でもある)」15%「技法の要因」15%「関係の要因(共通因子とも言われる)」30%
<統合のモデル その1>
@技法的折衷
「あれこれ取捨して適切なところを取って来る」理論ではなく、まずは現実ありき・理論に囚わ れることなく「何をするか」が重要
A理論的統合
昔から追及されてきた、精神分析と行動療法の統合
ex 快楽原則=強化?
発達早期の出来事〜様々な要因が加担し現在進行形で維持されている不適応パターン。
B共通因子アプローチ
すべての理論に共通する、効果をもたらすものとは何か?「情動修正体験」こそが共通因子か?
C同化的(assimilative)統合(現実的な発達過程として、お奨めだろう)
ある種の心理療法システムを出発点に据える。他のものの見方や技法を慎重なやり方で組み入 れて融合する(すなわち同化する)。
Dその他、回復ステージに沿った統合や多面領域的統合
熟考前段階、熟考段階、準備段階、行動段階、維持段階、サポート→探求、実行へ
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